△小中学生現役塾講師が家庭教師します。1時間1400円。不登校児1000円 [旧浜松市内]・youtube・https://www.youtube.com/channel/UCR7yI7iJRJ6rNBWI9wCeHQg
木下恵介名言集
2012年11月03日12:18
カテゴリー │名言
木下恵介名言集
木下恵介
両親が注いでくれた異常ともいえる愛情に対して、彼のほうも「おかげで私は、人間の愛というものが、どんなに深いものであり得るかということを知ることができた。人間が何かに対して注ぐ愛というものは、盲愛と呼べるくらいでなくては本当の愛とはいえないのではないかとさえ思うようになった」
両親・二十人もの使用人を使うが毎朝、五時には起きて煮物を始める。
恵介「そんなことは店の者にやらせたらいいじゃないか」
父、周吉「人を使うには、自分がいちばん先にやらなくてはだめなんだよ」
肥汲み(こえくみ)が来ると、必ず家に上がらせて食事をふるまった。
先生は、雨の日に限らず、体操の時間をお話の時間に変え、恵介を指名してしゃべらせた。
「小学三年生が、ひとりで四十五分もしゃべり続けるのは大変だし、子どもの読み物は、たいていそんなに長くない。そこで私は、二つの話をつないだり、三つの話を一つの物語にまとめたりした。いわば脚本を書くという仕事が、そのときから始まったようなものだ」
今までの劇映画の魅力より、半歩でもいいから前進したい。今までにはなかった何かを今度の映画(しゃしん)に出したい。演出がうまいとか、脚本がいいとか、俳優がうまくやっているとか、そういうことには何かあきたりないんです。
「楢山節考」 昔噺のようなかわいっ気はなく、めでたしめでたしのハッピーエンドデモない。実に暗くこんな悲惨な物語は余りないし、日本でなければ起こり得ない話の筋である。私はまずそのことに心を引かれた。映画の題材としても、これほど恐ろしく、また悲惨な話はなかったと思う。戦争中の数々の悲劇を描いたものだって、まさか子が母親を生きながら死ぬにきまっている場所に、おいてくるほど悲惨さはない。いわば、人として見るにたえない物語りである。
だが、それをあえて私が映画にしようとするのは、この悲惨な昔噺としてなら許せることが、実は現実の文化国家、日本に型こそ違え実在していると思うからである。見るにたえないといって、目をそらしているわけにはいかないのではないだろうか。
南京陸軍病院で 鯉のぼり風に狂ふや身もだえて ままならぬ世の 空になやめり
「脚本には、ごく簡単に「駅へ送っていく」とあるだけだったのだが、私は、ここが母親というものを描く大きなポイントだと思って、ビルの屋上から俯瞰撮影や長い移動撮影もまじえて、十分くらいのシーンにたっぷり膨らましたのである」
この『陸軍』の次に、海軍省後援で『神風特別攻撃隊』の企画が進んだが、木下監督はそこから外された。
「あるいはにらまれることになるかも知れないと思わぬではなかったが、一度は死んだつもりの怖いものなしの私である。人間の自然の情を描けば、どうしてもこうなるしかないと思った。」
映画はオリジナリティがなければいけない。日本には小津さん、黒澤君以外そういう作家は見当たらない。オリジナリティを持った人がたくさん出ないかぎり映画はいつまでたっても他の芸術家に馬鹿にされる。
『二十四の瞳』・この映画を作るにあたって、私は平和を守り、戦争の悲劇を再びくり返さない様にと、この一作に一生の仕事をささげ、私の全情熱を傾けて作りあげたもので、『二十四の瞳』は私の作品中で最も好きなものといえましょう。
・芸術家というものは時代の流れを反映する社会に関心を深めねばならないと痛感しましたからですよ。今の日本は非常に危ない状態にあるんです。今こそ正しいことを大いに語る時なのですね。この映画では私は子供たちに自分の親たちがなにをして来たかを知らせ子供に道を踏みあやまらないようにさせたいのです。私は戦争を心から憎んでいます。戦争によって美しかるべき思い出が無残に傷つけられるのがたまらないのです。私たちは自分たちが生きている時代だけが幸福であればよいと割り切らず遠い先のことを考えてこそほんとの平和な時代が実現されるのじゃないですか。
木下恵介
両親が注いでくれた異常ともいえる愛情に対して、彼のほうも「おかげで私は、人間の愛というものが、どんなに深いものであり得るかということを知ることができた。人間が何かに対して注ぐ愛というものは、盲愛と呼べるくらいでなくては本当の愛とはいえないのではないかとさえ思うようになった」
両親・二十人もの使用人を使うが毎朝、五時には起きて煮物を始める。
恵介「そんなことは店の者にやらせたらいいじゃないか」
父、周吉「人を使うには、自分がいちばん先にやらなくてはだめなんだよ」
肥汲み(こえくみ)が来ると、必ず家に上がらせて食事をふるまった。
先生は、雨の日に限らず、体操の時間をお話の時間に変え、恵介を指名してしゃべらせた。
「小学三年生が、ひとりで四十五分もしゃべり続けるのは大変だし、子どもの読み物は、たいていそんなに長くない。そこで私は、二つの話をつないだり、三つの話を一つの物語にまとめたりした。いわば脚本を書くという仕事が、そのときから始まったようなものだ」
今までの劇映画の魅力より、半歩でもいいから前進したい。今までにはなかった何かを今度の映画(しゃしん)に出したい。演出がうまいとか、脚本がいいとか、俳優がうまくやっているとか、そういうことには何かあきたりないんです。
「楢山節考」 昔噺のようなかわいっ気はなく、めでたしめでたしのハッピーエンドデモない。実に暗くこんな悲惨な物語は余りないし、日本でなければ起こり得ない話の筋である。私はまずそのことに心を引かれた。映画の題材としても、これほど恐ろしく、また悲惨な話はなかったと思う。戦争中の数々の悲劇を描いたものだって、まさか子が母親を生きながら死ぬにきまっている場所に、おいてくるほど悲惨さはない。いわば、人として見るにたえない物語りである。
だが、それをあえて私が映画にしようとするのは、この悲惨な昔噺としてなら許せることが、実は現実の文化国家、日本に型こそ違え実在していると思うからである。見るにたえないといって、目をそらしているわけにはいかないのではないだろうか。
南京陸軍病院で 鯉のぼり風に狂ふや身もだえて ままならぬ世の 空になやめり
「脚本には、ごく簡単に「駅へ送っていく」とあるだけだったのだが、私は、ここが母親というものを描く大きなポイントだと思って、ビルの屋上から俯瞰撮影や長い移動撮影もまじえて、十分くらいのシーンにたっぷり膨らましたのである」
この『陸軍』の次に、海軍省後援で『神風特別攻撃隊』の企画が進んだが、木下監督はそこから外された。
「あるいはにらまれることになるかも知れないと思わぬではなかったが、一度は死んだつもりの怖いものなしの私である。人間の自然の情を描けば、どうしてもこうなるしかないと思った。」
映画はオリジナリティがなければいけない。日本には小津さん、黒澤君以外そういう作家は見当たらない。オリジナリティを持った人がたくさん出ないかぎり映画はいつまでたっても他の芸術家に馬鹿にされる。
『二十四の瞳』・この映画を作るにあたって、私は平和を守り、戦争の悲劇を再びくり返さない様にと、この一作に一生の仕事をささげ、私の全情熱を傾けて作りあげたもので、『二十四の瞳』は私の作品中で最も好きなものといえましょう。
・芸術家というものは時代の流れを反映する社会に関心を深めねばならないと痛感しましたからですよ。今の日本は非常に危ない状態にあるんです。今こそ正しいことを大いに語る時なのですね。この映画では私は子供たちに自分の親たちがなにをして来たかを知らせ子供に道を踏みあやまらないようにさせたいのです。私は戦争を心から憎んでいます。戦争によって美しかるべき思い出が無残に傷つけられるのがたまらないのです。私たちは自分たちが生きている時代だけが幸福であればよいと割り切らず遠い先のことを考えてこそほんとの平和な時代が実現されるのじゃないですか。